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ごく一部の推理ゲームの歴史やらについて

こちらの記事、推理ゲームを推理する対象で分類するのは、とても面白く、記事の中で中心として取り上げられている【文脈】を推理するというのは、うまい言い方だなあと思っていました。
細かく気になる点はありますが、こういう観点の分け方はこれまで見たことなかったですし、ゲーム中に手に入る文章形式の情報と情報の間のつながりを推測するゲームのことを言い表すのに良い表現だなと思います。
(好みの問題と上述の気になる点で、僕が使うかはわかりませんが。推理の対象を問わず間を埋めるような思考をするのは日本語的には文脈を読むといっておかしくもないとか)

しかし、次の記事で2018年が推理ゲーム元年という表現と添えられた年表には、若干クエスチョンマークが浮かんでしまいます。
いや、大層な表現をしてしまいましたが、文脈を推理するゲームの仲間に入れてもらえそうな僕の好きなゲームが入ってない!ということが言いたいだけです。
ぶっちゃけた話、『推理ゲーム元年』という表現は、文脈を推理するゲームが2018年あたりから沢山出始めたということを強調していいたいだけでしょうし、そんなの気にしなさんなという話ではあるのですが、いい機会なので、推理ゲームに関して、数年前から頭にあったことをアウトプットしてみます。

書きたいのは2点です。
・テキストで入手した情報から書かれていない背景、情報を推測する推理ゲームについて(ちょろっと歴史)
・スペインで何故か盛り上っている推理ゲーム

・テキストで入手した情報から書かれていない背景、情報を推測する推理ゲームについて

たぶん【文脈】を推理するゲームに極めて近いんじゃないかと思うのですが、前述の記事でふれられていないので、別の表現にしています(ボードゲーム動画のTGGチャンネルではHAL99さんは、『本当の推理ゲーム』と表現されている類のやつです)。正確な定義は僕には判断できませんし。

こういったゲームの始祖が何かといわれれば、『シャーロックホームズ10の怪事件』であることは異論の余地はないかと思います。
以前記事も書いていますが、ざっくりな流れは↓な感じです。
・事件について書かれた本を使う(大きく分類すればゲームブックになるかと思います)。
・プロローグとして事件のあらましが依頼人などから説明をされるとともに、この事件で当てなければならない問題が提示される(犯人、動機、凶器など)
・プレイヤーは住所録などをもとに、事件関係者や警察関係者(死体の検死官とか)のもとを訪れ、話を聞く。
・事件の真相は(解答以外では)どこにも登場しないので、プレイヤーは聞いた話からこういうことが起きたんじゃないかなと推測/推理する。
・問題について回答を記載し、解答を確認して採点する(犯人が当たっていれば10点とかそんな感じです)
・調査で訪れた場所の数をホームズと比べて多い分を減点し、最終的な得点を計算する。
 (正解を推理するために訪れる必要がある(たぶん)最小数がホームズの訪れた場所の数になっています)

上記の通り、答えがどこにも書かれておらず、聞き込んだ情報から答えを推測するという点はもちろんですが、ゲームシステム的にも、高得点を取りたかったら聞き込みに様々な場所を訪れるのではなく、出来る限り訪問先を少なくして、妄想、もとい推理をよりはたらかせる必要がある、というどんだけ推理させたいんだという作りになっています。

まあ、色々なところを訪れて推理の裏を取るのも面白いんですが(余談ですが、どんな推理ゲームにせよ、その楽しさは、推理事態だけでなく、裏取りする方にもあると僕は思ってます)。

シャーロックホームズ 10の怪事件は、ゲームブックブームの1982年に発売され、1985年にSDJもとっていますし、同年に日本語版もでています。そして、このゲーム、単に昔に発売されたというだけでなく、継続して再版、リメイクされています(日本にいるとわからないのですが、決して過去の忘れられた作品ではないということです)。

具体的には、2011年のイスタリ版。これはフランス語だけですが、スペイン語や英語版が翌年以降に作成され、さらに追加のシナリオも2,3年続けて発売されていました(イスタリ版の英語版は2016年まで刷られていたとBGGにはあります)。
さらに2016年に発売されたスペースカウボーイ版は、こちらも発売当初はフランス語版だけですが、英語はもちろん、スペイン語やドイツ語やポーランド語、韓国語版などの多数の言語に訳されています(他のゲームもそうですが、沢山出ているように思える日本語版ですが、多言語展開しているゲームは日本語版は案外ないなと思うものが結構あります)。
加えて、同程度のボリュームの続編が2016年、2017年、2020年と継続して発売されています。

めっちゃテキスト量が多いので日本語版もない状況ではなかなか国内流通しないですが、継続して遊ばれている推理ゲームの名作だと思います。(国内ではさすがに30年以上前のものなので古書検索サイトである日本の古本屋さんなどで探しても数は多くないですが)。

しかも、単独の事件が面白いだけでなく、全10話がつながっており、小道具として使われる新聞は、第1話の時の新聞の内容が実は第5話の事件の真相を推理するための情報だったということがあるなど、今はやりのキャンペーンもの要素もあったりします。
売れるかはともかく、スペースカウボーイ版の日本語化、お待ちしております!(2022年には中国語版も出ますし!)

余談ですが、2018年に発売され前述の記事でも【文脈】を推理するゲームとして挙げられている、ディテクティヴやクロニクル・オブ・クライムも、遊べばベースは10の怪事件と共通のものを感じるかと思いますし、実際に、作者のインタビューやエッセイの中で両作品とも10の怪事件について触れられています。

参考:
Board games that tell stories(ディテクティヴの作者のひとりであるIgnacy Trzewiczekのエッセイ的記事):GDJ Detective - What we found in a shoebox.
クロニクル・オブ・クライム作者へのインタビュー

両作品とも10の怪事件がゲームブックであることの弱点、例えば、情報が冊子になっているので複数人で回し読みするには適していなかったり、ゲームとして遊ぶ際に選択肢が多すぎたり、解答の確認に向かうまでの行動がプレイヤー任せすぎたりする点をシステムによってカバーしている作品といえると思います(住所録を基に自分の考えだけで選択肢を作り上げる10の怪事件システムも楽しいんですが、選択肢をある程度、システム側で絞っても十分な楽しさがあると判断されたということでしょうし、実際にそこまで楽しさは損なわれていないように思います)。

そして、何故か触れられていないゲームとしてあげたいゲームがあと2つあります。

まず1つ目は「オリエント急行殺人事件ゲーム/ Orient Express」(1985)です。ブログ記事

オリエント急行内で起こった事件を乗客や乗務員に話を聞いて、話をつきあわせて謎を解くというゲームです。

移動がサイコロだったり出目次第で情報の公開/非公開が決まったりと昔のゲームにありがちな謎のゲーム性が追加されていますが、列車内を移動して色々な人に話を聞くというゲームの流れは大変楽しいです
(話の出来はそこまでよろしくないような)

全10話はいってますが、1話目が一番出来が良かったような覚えがあります。日本語版だと1話目が一番何言ってるかわからねえ(表現があいまい)ではありますが。

2つ目は、2015年に発売されたワトソン&ホームズです。(ブログ記事

※オリエント急行殺人事件とワトソン&ホームズは前述の記事の年表には含まれていないのですが、追記という形で記事の有料部分で言及されています。僕が記事を書き始めた後での追記なのでご容赦ください。
(2018年以前のゲームに言及してもまとめなどは変わってないので、やっぱ元年って魅力的なワードが書きたいんだあという思いは強くなりましたが、それは別の話。有料記事ですしキャッチ―さは必要でしょう)

これも、カードに書かれた情報を各プレイヤーが読み込み、どのカードにも書かれていない真相(犯人とか、動機とか)を想像で導くという形式のゲームです。

日本語版がでたものの、ぶっちゃけた話、そんなに売れている気配がないのが残念ですが……。

こちらは対戦式で、もっともはやく正解を回答したプレイヤーが勝利するという形式なので、勝負にこだわるのであれば、やはり、裏取りはそこそこにある程度は妄想レベルの予想で補うということも必要になってきます。
(まあ、こちらも裏取り捜査している感じが楽しいんですが)

僕は2015年にワトソン&ホームズを買ったんですが、正直、当時の感想としては何故いま?でした。

上記の通り、10の怪事件はイスタリ版が売られていたとはいえ、テキストを読んで推理するという形式のゲームは他にはありませんでしたし、近年の推理ゲームの隆盛の理由の1つと思われる、海外での脱出ゲームのヒットと、それを受けての脱出ゲーム的ボードゲームの出版ラッシュは2016年なんですよね。2016年のエッセンでExitとかが発売されています(日本ではマーダーミステリーも盛り上がりの要因の1つですが、これは2018年くらいから)。

脱出ゲーム的なものと形式は違うとはいえ、大きな括りとして『推理、謎解き』の盛り上がりも特にない(もしかしたらボードゲーム以外のところで盛り上がっていて~というのはあったかもですが)状態で、突然でてきているので、脱出ゲーム的ボードゲームの盛り上がりから端を発した推理ゲーム出版ラッシュ以降を整理するという点では、範囲外の作成であることは間違いないです。過去からの流れの中では見落として欲しくないけど、現在から過去を見た時には追跡できない、追跡する必要のないゲームではあります。

この特異点的なワトソン&ホームズという存在の話が次のテーマにつながります。

・スペインで何故か盛り上っている推理ゲーム

推理ゲームが盛り上がっている国はどこか?と言われれば、(形式にこだわらなければ)、マーダーミステリーなら中国や日本でしょうし、脱出ゲーム的なものであればExitシリーズのドイツや、アンロックシリーズのフランスなどがあるかと思います。

が、ここで僕があげるのはスペインです。

最近は減りましたが、たまに色々な国のショップで売られている商品をぼけーっと眺めることがあります。

その国独自のゲームがそれなりの数あるのはドイツ、アメリカ、フランス、ポーランド、日本というところで、その他の国は、まあ、出てはいるけど、数は多くないという印象で、ほとんどローカライズされた他国発のゲームが大半を占めています(データないので主観です。スペインにはネスタ―ゲームズとかあるし、オリジナルゲーム市場が何気に大きいのかもしれませんが詳しい方突っ込みお待ちしております)。

スペインオリジナルのゲームも、そこまで多くないという印象なんですが、何故か、推理テーマのゲームが多いような気は何年か前からしていました。

例えば、
そして誰もいなくなった/ 10 Negritos(2014)  (これはテーマだけが推理もので、実際にはタスク達成型の協力ゲームですが)
ワトソン&ホームズ / Watson & Holmes(2015)
厄介なゲストたち/ Awkward Guests(2016)
・Qシャーロック(2018)

※うちのブログに記事があるものは記事にリンクさせています

スペインオリジナルというわけではないですが、イスタリ版の10の怪事件も英語版より早くスペイン語版がでてます。

たまたまかもしれませんし、推理テーマものが好まれる風土があるのか、何かきっかけがあるのか、単に僕がモノを知らないので多く見えているだけなのかはわかりませんが、推理(テーマ)ゲームがここ数年間で一番熱かったのはスペインだと思っています。
単に殺人や推理のテーマをちょっと被せただけのゲームはそれなりにあるでしょうが、小さい出版社から独自性の高いシステムで出版されてるのが多いなあと。まあ、主観です。

ーー
・おまけ
記事を書くにあたって、主にBGGではありますが調べたことをせっかくなので共有しておきます。興味深い内容もあったので。
いや、ほんとに裏取りやってちゃんと信用に足るものを書こうとしたらめっちゃ大変ですね(=原本まで裏取りしてないので、へーへー程度で)

・そもそもの今回話題にした推理ゲームの源流を調べようとした過程で、ゲームブックについても調べたのですが、ゲームブックという形で発売されたものは1979年のバンタム・ブックスの『きみならどうする?』(Choose Your Own Adventure) シリーズというのがあるようです(wikipediaを参考に書いていますがこれが初とは書かれていません)。
ここで興味深いのが、デジタルゲームのアドベンチャーゲームは、70年代初めには作られていたということなんですね。ゲームブック→デジタルゲームという流れかと思っていたので、意外でした(元祖っぽいアドベンチャーゲームのWikipedia)。
といっても、デジタルゲームの方は個人レベルで初めて作られたのが記録に残っているというだけとも言えるので、センテンスを分割して選択肢で読む先を変えるという形式の本はもっと前にもあったのかもしれませんが。

・他の推理ゲームについても歴史を~と思ったのですが、本腰入れないと無理っぽいので諦めました。どこまで含めるかの話ももちろん、おそらく最初の推理ボードゲームと思われるクルー(クルード)が1949年発売とかなり昔なんで、60年以上を紐解くのは骨だなあと。
メジャータイトルだけでも拾ってみるのは面白いかもしれません。これも古典の推理ゲームであるスルースが1971年と、クルーから結構間が空くんですが、ここら辺はボードゲーム市場的な話や、デザイナーとして活動する人の不在(70年代になるとシド・サクソンやアレックス・ランドルフがでてくる)も大きい気がしており、単純にゲーム名を羅列しても表面的なものになりそうです(それでもないよりはマシですが)。もちろんBGG程度のデータベースで追いかける限界もあります。

・マーダーミステリーの歴史は、意外と古く、「プレイヤー個々人が物語の中の役割を演じる」「プレイヤーそれぞれに背景や何をしていたかの情報ペーパーが配れらて、それに基づいて行動する」という形式だと、1985年に『How to Host a Murder』シリーズというのが発売開始しています(今でも手に入るみたいです。DL販売もあります)。
このシリーズ自体は2003年まで継続して発売されていたみたいです。並行しておそらく似たようなフォーマットで、Murder Mystery Partyというシリーズも1997年から2008年まで継続して新作がでていたようです(推理ゲームのブームを受けてなのか2017年にも新作が出てますが)。
ものをみてないので断定はできませんが、いま流行っているマーダーミステリーの基本要素である「カードを用いたゲーム要素(追加情報)」、「各プレイヤーの情報を集めても解けるわけではない/情報が集まらないような作りになってる」は、中国のマーダーミステリー発なんじゃないのかなあと勝手に思ってます。

・終わりに

先日、ディテクティヴ シーズン1の日本語版が発売されましたし、クロニクル・オブ・クライムの日本語版も控えています。上記の通り、これらは10の怪事件フォロワーなので推理ゲーム好きな方には是非遊んでみて欲しいです。
(クロニクル・オブ・クライムは楽しいところと、コマンド選択式デジタルゲームのコマンド総当たり的になるところがあるので、手放しに褒められるわけでもないんですが)

国内、海外問わず単なる消去法の古き良きシステムを使っていない、プレイアビリティが高く、面白さに直にコンタクトしてくるような新しい推理ゲームがどんどん発売されているのは、遊びきれないのは残念ですが、1ファンとしてとても喜ばしいです。

「クローズドボドゲフリマin川崎2015」振り返り

もう3ヶ月前の話になりますが、フリーマーケットの主催をしました。(経緯や当日についての記事

やりっ放しというのもなんだかなとか、もし他にもボドゲフリマやろうとしてる人に参考になればとか思いちょっとだらだらっと書いてみます。この振り返り記事を書くにあたり、参加いただいた方に感想をお聞きしたので、それも参考にしつつで。

※なんか思ったよりも長くなったので、頭に要約を書いておきます。
・クローズドであれば、いろんな意味でコントロールしやすい割に、持ち込みゲーム数も多く、参加者の満足度は高かった
・参加者が絞られるため供給過多にはなり、その点は不満の声があったが、擬似貨幣を作るなど解決策は考えられる
・予約は大変好評。
・オークションは盛り上がりにくいのでイベントとしては微妙。

クローズドという形式について

一概に、クローズドといっても色々やり方はあるかと思いますが、僕が主催したものは、
・参加チケットを持つ人のみが入場可能
・参加チケットの入手は販売ブース取った人に主催から10枚渡したものをブース責任者が配るのみ
という形でした。

要は、主催の知り合いと、知り合いの知り合いのみ参加しているボードゲームフリーマーケットでした。

結果からいえば、参加人数を制限でき、かつ、(知り合いに迷惑をかけることになるので)目立ったトラブルも発生せずで、スタッフを少なくしつつボドゲフリマをやりたいという思惑は無事達成できました。
参加者を絞ることで、会場の盛り上がり不足を心配していましたが、少なくとも事務局席から見てる分には十分に盛り上がっていましたし、開催後に頂いた感想でも、殆どの方から満足した、楽しかったという意見をいただけました。

持ち込まれるゲーム数が少なかったらどうしようとも思っていましたが、それも杞憂で、全体で1000個以上のゲームが売られていました。
これは、参加者全員が「販売も購入もできる」という形式でしたし、当初、ブース参加者を募る際から繰り返しお伝えしていたせいか、ブースの中心として何十個も持ち込まれる方以外にも、数個ずつでも持ち込まれる方がたくさんいらしたことが大きいと思います。

今回のフリマの規模は、17ブース、参加者144人でした。たぶんブースとった人だけがゲームを持ち込んで販売するという形だと、もっともっと販売ゲーム数は少なかったでしょう。自分は売るものがないと仰ってる人でも1,2個は売るものがあったようですし。
大々的にフリーマーケット!というわけではなく、知り合い同士が集まってゲームを売りあうという気軽さが結果、たくさんのゲームを持ち込んでいただけたのではないかと思います。

いくつかのボードゲームフリマで、参加者に対して売り物が少ない(あっという間に売り切れる)という話を聞いたことがありますが、1個からでも気楽に売れる仕組みを作れれば、多少は解決するかもしれません。

ただ、クローズドという形式で、チケット数が限られていると、誘う側からすれば誘いたくても誘えない人もでてきますし、誘われる側は誘われたいのに誘われないということがでてきます。これが不和の原因になるのは全く望ましくないので、今回は、「誘って欲しい」と自分から言わないでくれと事前に言ったりしてました(効果の程はさておき)。意図的だろうとなかろうと、チケットくれ、誘ってくれと自分から言って断れた時のことを思うと耐えられんので…。

供給過多について

フリマ当日も言われてましたし、頂いた感想でも一番多かった不満、問題点は、参加者数に対して販売ゲーム数が多すぎたということです。
各参加者が数個ずつでも売り物を持ってきてくれたと前述しましたが、逆に言えば、各参加者が平均して5個持ち込んでいたとしたら、5個ずつ買わないと売り物が余るということになります。今回だと全参加者が7,8個買えば、供給と需要があってたんですが、全員がその数買うとかありえないですねw。

そのため、今回のような全参加者が販売も購入もできるという形にすると起こりがちな状況ですし、主催側からすれば、需要過多で売り物が少ないよりも、今回のような供給過多の方が多くの参加者の方には喜んでいただけるはずなので、必ずしも問題点ともいえないのですが、売ろうと思って参加されている方からすれば大問題だと思いますので、解決案を考えてみました。

今回、供給過多、供給過多と色々な方に言われましたが、何に対して供給が方なのかというと、参加者に対してというよりも、参加者が持っている財布に対してです(あとは、棚の空きスペースという方もいらっしゃいましたがw)。

フリマの終盤はかなりの値下げも行われて、モノによっては中古ゲーム屋の買取価格よりも安くなってましたが、それでも無い袖は振れないということで売れ行きは芳しくなかったようです。開始直後の財布の余裕がある時を逃すと、値段に関わらずあまり売れなくなってました。
その中盤以降の停滞感と値下げしても売れないというところから、供給過多という話がでたのだと思うのですが、閉場間近にいくつかのブース間で行われていた「ゲームの交換」というのがその解決のヒントになるかと思います。

金がなくて買えない(人によっては棚に空きがないから売り物が売れないと買えない)という状況の打開策として、各ブースだけで使える擬似貨幣を発行するというのがどうかなーと。
わかりやすく言うと、僕が他ブースで買い物をする際に、僕のブースの買い物で使える「ひだり円」を使うわけです。3000ひだり円で何かしらゲームを買ったとすると、自分のブースの3000円分のゲームをそのひだり円と引き換えられる。で、もし最後まで使われなかった擬似貨幣があれば、発行元が買い取りすると。
ゲームそのものの交換は手間もかかるし、なによりかさ張るので擬似紙幣で代用できないかなと思った次第です。

もしくは、単純に持ち込みゲームを増やさずに財布を増やせば良いので、販売はできない、購入専門の参加者を増やすという、通常のフリーマーケットに近づければ解決はすると思います。頂いた感想でも開始後、何時間か経ったらオープンにしても良いのではという話もありました。
割合とかはおいといて、少しでもクローズドを解くのであれば、参加者の整理やトラブル対応などのスタッフは必要になるはずなので、スタッフをもちっと増やせるならという解決案ではあります。

予約について

今回のフリマでは、販売開始前の1時間を予約時間として、各参加者が1つずつ、各ブースに並んでいるゲームを予約できるようにしました(同ゲームに複数者から予約が入った場合は抽選)。
これに対して、ほとんどの感想で良かった!という声を頂きました。

主催側すると、開幕ダッシュの防止、スタッフ削減、トラブル防止の一環だったのですが、フリーマーケットで初めて落ち着いて売られている品を見ることが出来たとか、1つしか予約できないので何を予約して何を開幕直後に買いに行くか超考えたとか色々と楽しい声を頂きました。
悩みに悩んで、今を逃すとこれを買う機会はない…!と予約したゲームがライバル無しで買えてしまって、予約チケット無駄にしたーという話をいくつか聞いて僕は非常に楽しかったですが。

もちろん何を買うかが一番の目的だと思うのですが、何がどれくらいの価格で売られているのかだけでも、十分に楽しめるものだと思うので、開場30分とか1時間であっという間に品がなくなっちゃうという話を聞くにつけ、クローズドという形式に依らず、どのフリーマーケットでも取り入れても良いのではないかとすら思いました(クローズドでないと、参加者数にキリがないので、どうやってやるんだという話はありそうですけど)。

オークションについて

スタッフは少ないければ、何かしらイベント的なものをやった方がよかろうとオークションをやったわけですが、これは失敗でした。

たくさんの品を出品いただいたり、解説をかってでていただいた方々がいたりと盛り上がりはしましたし、感想でも不満の声はなかったのですが、主催として振り返るにもうやらなくていいかなと。

オークションと聞くと、なんか良い物が出品されて、それを欲しい人が競り合っていく…というような展開が想像されると思いますが、いまはもうそんな展開はほぼあり得ないんですね。
入札する方は”相場”よりも安く買おうとするし、出品する側は”相場”より高く売れるのを期待するんですが、もう情報が出回りすぎていて、入札する側も出品する側も”相場”の感覚が同じなんで、普通にやると出品側が思うよりも値上がりせずにせっかく品を用意してくれた出品側が損をしたようになっちゃうことが多いんでやらんでいいかなと。

特に今回は普通に売られている品すら買う金もないのに、オークションに突っ込む金なんてないわという状況のせいもあったとは思うんですが、数年前ならいざ知らず、海外も含めればもう殆どのゲームが探せば買えるんでオークションに金を突っ込むということは、どこでも変わらないと思いはします。

その他の意見について

大半は供給過多とか予約の話とかに包含される感想が多かったのですが、やはり開場前に来場していた方々のマナーの話はありました。13時開始のフリマに10時前に来る人が何十人もいたのはおもいっきり想定外でしたが、ちゃんと想定しないとダメでしたね。

クローズドという形式ゆえだとは思うのですが、ツイッターなどで名前は知っている、または交流はあっても顔は知らないという方々がお互いに参加していたため、名札をつけたり、どのブースに誰がいるかを公開したり、せっかくなので交流のある方に挨拶する、交流を広げる機会を作るということができたらよかったという意見もいくつかありました。全員が全員というと難しいでしょうが、主催側が何かしら用意して、やりたい人だけが交流できるような仕組みは作ったほうが良いなと思いました。

あとは細かい話で、予め販売ゲーム数などを確認して、それにあわせて開場の余剰スペースを使って販売スペースの調整などしてたのは評価いただけてました。

最後に。あるブースで机の横も販売スペースにしてた件では、たくさんの感想で、あれはダメだろという話を頂きました。該当ブースには設営時にダメだよと伝えてはいたのですが、始まってからは僕は見て回れませんでしたし、みなさんさんはみなさんで文句つけるのもなあと気を使ってくださって、なし崩し的に最後まで修正されることはありませんでした。本来はトラブル事案として取り扱うべきで、参加いただいた方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

というところで、関東でのボドゲフリマ、クローズドでもオープンでも来年以降活性化することを願いつつ〆です。

何故複数回遊んでから感想を書けと言われるの?

※こう思いました。と言うだけなので落ちはありません。

たまにというか定期的にというか、1回プレイしただけの“感想”(もっぱらレビューと呼ばれる)で、そのゲームの面白い/つまらないに言及することが良くないというような話がでてきます。まあ、きっちりした評論であれば1回だけというのは問題かもしれませんが、書き手がいっぱしの批評家であるとか、選ばれたひとしか公表できないならともかく、そこらのおっさん、おばちゃん、おにいちゃん、おねえちゃんの感想に文句をつけてもはじまらないですし、そもそも、情報の取捨選択や解釈は読み手に任されるのだから、読み手が書き手の文章自体や嗜好の傾向をふまえて判断すれば済む話くらいに僕は思ってます。まあ、逆に同じゲーマーが言ってることだから口コミ効果で参考にされやすいてのもあるんでしょうけど。

(余談:なので、僕は書き手は好きなこと書けばいいじゃんと思いますし、書いてるつもりです。ただ、誤解を与えないよう書き手は根拠も明確にする必要はあるかと思いますが。
例えば、「チケットトゥライドはつまらない → チケットトゥライドはカードの運で決まるのでつまらない → チケットトゥライドは列車カードは山札からしか引けない。よって、カードの運で決まるのでつまらない。」ここまで書いてくれれば、ルール間違ってるだけじゃん!てわかりますよね)

・では何故悪く言われるのか。

これはボードゲームは多人数で遊ぶものだからじゃないかと思ってます。仮に4人そろって、その4人とも書き手の感想を鵜呑みにしないひと達だったとしても、ひとりが「これは○○という理由でつまらないという感想をみたよ。僕もルールを読んだ限り、その通りだと思うから別のにしよう」と言われたらまず立卓しません。立てる方も面白くないと言われているものを立卓するのは気分がよくないのだと思います。

しかし、これは書き手の遊んだ回数には関係なく、単に「悪い評価を書かれたことによる悪い点」と何ら変わりありません。

・そもそも感想を書くことと遊んだ回数は関係しているのか

ボードゲーム以外の例えば本や映画、絵画等の美術品、料理まで広げてもいいかと思いますが、それらの感想やレビューを考えてみます。
果たして数回読まれた、見た、食べた上で書かれているものは全体の何割程度あるでしょうか。僕の感覚ですが、ほとんどないのではないかと思います。あまり1回で判断するなという意見が出ているのはあまり聞いたことがありません。

では、何故ボードゲームでは言われるのか?

色々な戦術をとるなど、複数回遊ばないと面白さがわからないからでしょうか。ルールを間違っている可能性があるからでしょうか。面子によって面白さが変わるからでしょうか。プレイ人数によって面白さが変わるからでしょうか。

とりあえず思いつくところはこれくらいですが、これらってボードゲームだからというわけではないんですよね。

本でいえば読み返せば、初回は気付かなかった伏線に気付くこともあるでしょうし、最後を知ってるからが故の登場人物の感情を追えるということもあるでしょう。解釈を間違っていることもあるでしょう。読んだ時の自分や周りの環境で感じ方は変わるでしょう。

基本的に初回と二回目以降で感じ方が変わらないものなんてないんです。

では、何が理由?と考えたのですが、「ボードゲームは楽しめるものしか望まれていない」のが原因なのかなと。

本や映画は極端に言えば、楽しくなくても良く、悲しくなろうが、萌えしかなかろうが、多種多様な作りや受け止め方が許容されています。笑える作品もあって良いし、知的好奇心を満足させるだけの作品であってもよいし、延々とキャラクター・俳優さんを鑑賞するだけの作品があっても良いです。受け手もあいつが楽しいと言ったからといって、自分も同じとは限らない(むしろ評論家がつまらない作品というものには、単純でアホウなエンターテイメントとして大変受けるものもありますし、逆に評論家だけが面白いと言ってるものもザラにあります)ということが受け入れられているのかなと。

一方で我らがボードゲームですが、このゲーム、すごい泣けていいんだよ!とか言われてるのは聞いたことがありませんし、想像もちと難しいです。つまるところ、面白いか、面白くないかの2つしか評価軸が基本的にありません(一部にはつまらければつまらないほど…!という悪食の方もいますが)。
そんな中で、「面白くない、つまらない」という話がでれば気にします。

結局のところ、二択の評価しかないものなので、簡単に(1回しか遊ばずに)結論を出すなということなのかなと。前述の通り、その結論を鵜呑みにする人がいれば遊びづらくなることもあるわけなので。

では、どうすれば良いのかは全く見当もつきませんが、ボードゲームの評価が面白い/つまらないだけでなく、もっとバリエーションがでてくれば、誰がどんなことを言っても受け手もさほど気にしなくなるのではないでしょうか。

ボードゲームのルールって?

最近、色々なところでゲームをしたり、色々なサイトやツイッターでの文章を読んだりした際に、ボードゲームのルールの扱い、それに対する考え方がひとやゲームによって結構違うもんだなと、非常に興味深く思っています。

自分にとっては(そして、おそらく大半のひとにとっても)ルールとは「ボードゲームを楽しむための制約」です。

“楽しむ”というのは、1つは知的好奇心(という表現が妥当かわかりませんが)を満足させる、つまり、うおー、このシステムは素晴らしい!とかいうようなゲームを動かすメカニクス的なものを楽しむこと、2つ目は卓を囲んだ人たちと愉快な時間を過ごすという意味で書いてます。

自分がまず興味深いと思うのは、自分にとってのルールの役割を満たすために、必ずしも作者が規定している正しいルールが適用されている必要はないということです。
僕はおそらくゆるいのでしょうが基本的に、「間違っていたとしても、ゲーム中、全員が同じルールでやっていれば問題ない。ただし、つまらない時を除く」スタンスです。

ルール間違いに気づくのは、その場に同じゲームを別の場所で遊んだことのあるひとがおり、ルールに差分があった時か、ゲームが面白くなかった時か、ゲーム会後、ブログを書く等の何らかの理由でルールを読み返している時くらいでしょう。
ゲーム中に気付くのは面白くない時くらいしかないと思っています。

つまり、余程でないとプレイ中にルール間違いには気付けないということです。では、ルールを間違うことによる弊害って何なんでしょうか。(ひとりがルールを聞いていない、勘違いしているという場合ではなく、その場で共通認識されているルールが誤っている場合の話です)

A.ゲームがつまらない(正しいルールで遊べば正しいはず!というデザイナー性善説に則ってます)
B.ゲームの正しい評価ができない

Aは、まあ、色々とダメージがでかいですが、前述のとおり、ゲームがつまらない際にはルールが疑われます。なので、実際には通しでプレイして、つまらなくて、なおかつ、そのルールが間違っていたというのはあまりないかもしれません。
ただし、これには段階があり、正しいルールで遊ぶことがそのゲームが持っているポテンシャルを出し切ることになるのであれば、ルールを間違っていたため、つまらなくはないが本来の面白さの8割くらいということもありえます。

Bはゲーマーというか、複数ゲームを遊んで何らかの理由で比べたいひと以外には関係のない話です。
ルールを間違えて、ゲームが面白くない時にはAに書いたように気づけるはずなので、Bの場合、ゲーム自体は面白いということになります。

レビューを仕事にしていたりでもしない限りは、ルールを間違っているかどうかよりも、ゲームが面白いかどうかの方が重要だと思いますし、大抵のひとはそうなのではないでしょうか。

そうなると、ルールを間違うことは何が悪いのでしょう。

答えの一つとして、ゲームがより面白くなる機会を逃しているというのはあるでしょうし、作者への敬意も欠けているとは思います。

しかし、そこまで悪いとも思えないんですよねえ。僕は正しいルールで遊ぶというのは、全てのプレイヤーが多少の不満があったとしても、納得して遊ぶためでないかと考えます。
ボードゲームは複数人で遊ぶものですし、面白いの基準はひとそれぞれです。みんなが「こっちの方が面白い」と言いだしてはキリがないので、納得するための方便が“正しいルール”なんじゃないかと。

例えば、おい、それは俺の魚だぜでは、本来のルールであればペンギンは1以上の任意のマスを動かすことができます。しかし、正式ではありませんが、つきあたりか別のペンギンにあたるまで止まれないというバリアントが存在し、それなりに広まっていますし、先日、こちらを正式ルールとインストされている方に会いました。
(僕は移動距離は任意のルールの方が好きですが)よりゲームが面白くなると考えた人が考案し、実際に面白く、納得できる(氷の上ですし)からこそ受入れられているわけで。

その一方で、こういう話もありました。先日、とあるゲームを遊んだ時のことです。そのゲームでは捨て札からもドローすることができました。インスト時には捨て札か山札から1枚ドローしてくださいと伝えていたところ、あるプレイヤーが何の抵抗もなく、捨て札のなかをささっと見て、好きなカードを手札に入れたのです。
その方曰く「山札は何があるかわからないから、好きなカードを探してはいけないのはわかる。だけれども、捨て札はどこに何があるかわかるのだから選んでも良いのではないか」 これがこの方の“納得できるルール”なわけです。しかし、実際には捨て札の山の一番上の1枚をドローするのが“正しいルール”であることを伝え、納得してもらいました。
この方が自分の仲間内でやる時に、どちらのルールでやるかは自由ですし、楽しい方でやればいいわけで。

何が書きたいのかわからなくなってきましたが、最初に書いた「ボードゲームを楽しむための制約」であれば、ルールの正誤にそれほど気を使わなくてもいいし、実際に楽しいゲームができれば良いのではないかと思うわけです。正しいルールはその場に限らず、多くの人が全く同じゲームを行うための手段と割り切るのもひとつの考えではないかと。
一言一句ルールブックの文言通りか気にする真面目な方もちらほらいるようなのですが、楽しむためのツールなんだから気楽にやりゃあえんでないかと思ったので。

最後に余談ですが、上記については、“正しいルール”が求められた際に参照するであろうルール和訳が間違っていないことが前提です。

ある程度経験のある方や英語も読める方は、和訳だけでなく原文ルールもあたるのが当たり前になってはいますが、ボードゲーム歴が浅かったり、英語が堪能ではない場合は、和訳に頼るわけで、その際に和訳自体が間違っていては、その場のメンツが納得できる“正しいルール”が間違っていることになり、目も当てられませんので。

なーんか、最近、和訳が間違っていたせいで評価されていない、不当な評価をされている、プレイ自体することさえ難しいとかいうゲームの話をいくつか聞いたので余談ですが書いてみました。

デザインノート的なもの (「犯人はお前だ!」について)

※以下の記事ではカジタブリッジ製作のゲーム「犯人はお前だ!」のことについて書いていますが、ゲーム自体については特に説明をしていません。興味のある方は、概要説明書当ブログのプレイ記事等ををお読みいただければと思います。

前回の記事からの続きで、推理する対象を機械的にではなく、人為的に作る形式のゲームを作ろうとしたわけですが、最低限、以下の要素はゲームの流れとして出てくるだろうと考えました。

1.謎の提示
2.謎を解くためのヒント(証拠)の入手
3.推理
4.推理の発表と評価

「犯人はお前だ!」を作るにあたっては、それぞれの要素を考えることでゲームの全体像、詳細部分を決めていっています。

1.謎の提示について

まず、「1.謎の提示」ですが、これについては推理の対象を人為的に作る=参加者のうちのいずれかが謎となる(いずれかの正体を当てる)形式としたので、特に書くことはありません。

多少語弊もありますが、謎となるプレイヤーを以降、犯人役と呼びます。

2.謎を解くためのヒント(証拠)の入手について

「犯人はお前だ!」と同じような作りのゲームである人狼は、基本的にゲームの仕組み的にはノーヒントです。
ヒントを得るために、プレイヤー全員で狼につながるヒントを得るための仕組み、ルールを作る必要があります(※1)。ですので、慣れてる人たちにとっては非常にシステマチックに、慣れていない人たちにとっては何をすればよいのかわからない、そういう状況になります。

※1 占い師などの能力でヒントを得る手段は提供されていますが、そのヒントは占い師本人以外にとっては、真実かどうかの判断はできません。占い師の情報以外の真贋を判断する時と同様に、占い師の行動に関するルール(例えば占い師は必ず初日にカミングアウト&その後も指定されたひとだけを占う等)が真贋の判断に必要になります。

つまり、ゲームへの熟練度と個人のコミュニケーション力が推理ゲームとしてのポイントである「ヒントの入手」に大きく依存しています。
これでは、ヒントが得られず、結果として推理ゲームにならなかったという場合も想定され、好ましくありません(実際、初心者は手引きがないとつらいゲームです)。

よって、ゲームの仕組み的に推理の元になる情報(ヒント)を手に入れる仕組みが必要と考えました。

ただし、ゲームとして謎の全体の枠組みを提供しない(クルーのように真相の候補が決まっていない)のであれば、ヒントを出すことができるのは謎を知ることのできる人物、犯人役自身、もしくは、ゲームマスター(ゲームに参加せずに犯人役を知ることができる人物)だけです。
ゲームマスターを作るのは最低プレイ人数を増やすことになりますし、ゲームマスターも面白くはあるのですが、プレイヤーと別ゲームをやっているのに近い(同じ楽しさは享受できない)ので、ゲームマスターを作ることは無しとしました。

では、犯人役自身がヒントを出すわけですが、ヒントを出すには、犯人が何かに干渉し、それを他プレイヤーの元に公開する必要があります。無論、ヒントを出すことで犯人がばれるのは最悪なので、干渉か公開、または両方を隠すことになります。
隠す方法として色々と試してみましたが、「犯人はお前だ!」で採用している“カードをテーブル下でまわして、犯人だけがカードを裏返す”が最も、何かを調べている感覚、プレイヤー間の緊張感があり、かつ、上手く隠すことができる方法だと判断しました。他には人狼の夜のようにプレイヤーが顔を伏せている間に犯人が何かを行う、投票のようにプレイヤー全員が(例えば)カードを提示してシャッフルしたあとに公開する等を試しています。

ただし、いずれの方法も隠すことの失敗=犯人役がばれる、もしくは虚偽の情報が公開されることになるので、推理を主眼としている場合、ゲーム全体が壊れます。これは非常にリスキーです。そのため、ゲームを通して三回ほどが限界と判断しました。もちろん、ゲームが壊れないヒントの出し方はあるかもしれませんが、カードを裏返す方法の持つ捜査している感などのメリットを取りました。
また、これだけが理由ではないのですが、ゲームが壊れることも考慮してプレイ時間は短めにすることにしました。

(このゲームが壊れると言うのも逆手にとって、倒叙もの(コロンボや古畑任三郎のような犯人がわかっていて、探偵役が犯行のほころびから謎を解く形式)みたいにして、犯人役のミスを誘発または待つ…みたいなゲームも突き詰めれば形になるかもしれませんが、別の話なので割愛します)

3.推理について

ゲーム中に得られたヒントを元に推理を行った場合、100%正解できるようなデザインにすべきでしょうか。僕の答えはNOです。

推理に主眼をおいたゲームとしても、推理小説としても、推理が一番の花形になるべきであり、プレイヤーに推理した!と思わせるには一定以上の不確定要素と、プレイヤー自身の主観が入る余地がないといけません(前回の記事にも書きましたが、推理小説の推理は誰がやっても同じ結論になるような単なる論理的な思考ではないと考えています)。

そのため、ゲーム中に得られるヒントは直接、犯人役が誰かということを示すものではなく、間接的に示すものということにしました。

「犯人はお前だ!」では、当てるべき対象を犯人役と事件の真相(被害者、犯行現場、凶器)の2つに分け、ゲームの仕組みとしては事件の真相に関するヒントだけが手に入るようにし、一方で、犯人役を当てるためのヒントは犯人が真相を隠そうとする行動自体とすることで、犯人役の正体に関するヒントは直接的ではなくしました。

ヒントを間接的にしたことにより、ヒントの多寡と推理の正解率は比例しなくなりました(※2)。そのため、ヒントを手に入れる機会を必要以上に増やしていません。なので、犯人役の正体につながるヒントが得られる機会が非常に少なくなる場合もあるゲームデザインになってしまいました。

※2 客観的かつ直接的なヒントが得られない状況では、バイアスが非常に大きな働きをします。バイアスなどの話を持ち出さなくとも、あなたがAさんが犯人だと考えている時にBさん自身が「俺、犯人だよ」と言ったとします。自分で犯人だと言っているのですからBさんは犯人なのでしょう。しかし、あなたはAさんを怪しんでおり、かつ、客観的、直接的にBさんが犯人であることを示すヒント(証拠)はありません。この時、あなたはどちらを犯人として指摘しますか?という話です。

多すぎるヒントはいらないとはいえ、ヒントがないのも困ります。ゲームの仕組みで手に入るヒントは犯人役ではなく真相を当てるためのヒントなので、犯人役が怪しまれるような行動を取らなければ犯人役を当てるヒント自体が出てこなくなります。そういう状況で犯人役が積極的に行動する理由はありません。

それを回避するためには、どうすれば良いでしょうか。木の葉を隠すなら森の中、死体を隠すなら○○の中の考え方とは逆ですが、木の葉は森以外にあれば目立つという考え方もできるでしょう。つまり、犯人役以外が積極的に行動する状況を作れば、犯人役も怪しまれないために積極的に行動する理由が生まれます。

一見理屈は通ってますが完璧にアホの考えです。

では、どうすれば犯人役以外が積極的に行動するか? いくつか方法はあると思いますが、当時、チバテレビで太陽に○えろ!の再放送を見ていたこともあり、刑事ごっこの中にプレイヤーを入れると方法を取りました。
これがニックネーム制誕生の理由です。(というのは半分で、僕の嗜好としてゲームの重い軽いに関係なく、黙々と遊ぶよりも盛り上がって遊ぶべきだという考えも理由になってはいますが)

4.推理の発表と評価について

ゲームの作りの関係上、犯人役以外が結託すると犯人役はわかりやすくなりますし、犯人役があからさまに仲間外れになって面白くなくなります。そのため、個人戦として、犯人を当てる、真相を当てる/隠すことによって、個人にポイントが入ると言う形式にしました。
これに伴い、個人の思惑も反映できる仕組み(捜査結果を隠す)もゲームに取り入れ、単純に思惑が計れないようになりました。

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僕が「犯人はお前だ!」をデザインした時に考えたことは大体以上の内容になります。もう前回の記事からお分かりかと思いますが、僕がは、推理(小説)のロールプレイをどうやって面白いボードゲーム、カードゲームに落とし込むかという考え方をしています。
そのため、普通のゲームデザインとは考え方や優先度がおかしいことになっている部分も多々あるかと思います。

次回のゲームマーケットには理由があって参加できないので、このような文章を書いてみたわけですが、自分の中で思った以上に収穫もありましたし、改めて自分の考えを整理してみて、ボードゲーム的な面白さをゲームに入れようとする努力や考えが抜けているなと思い知りました。

あとは、コンポーネントに関することも記事になるような内容が書けるようなら書きたいと思います。
プロフィール

ひだり

Author:ひだり
川崎市で相方や友人たちとボドゲやってます。

オールタイムベストは、
・グローリー・トゥ・ローマ
・バサリ
・インペリアル
・アフター・ザ・フラッド
・ゴッズプレイグラウンド
・HABA社製品 全般

推理ゲーム好きだけど↑には入ってないという
-------------------------
連絡先:hidarigray@gmail.com
※当blogはリンクフリーです

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