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ボードゲームのルールって?

最近、色々なところでゲームをしたり、色々なサイトやツイッターでの文章を読んだりした際に、ボードゲームのルールの扱い、それに対する考え方がひとやゲームによって結構違うもんだなと、非常に興味深く思っています。

自分にとっては(そして、おそらく大半のひとにとっても)ルールとは「ボードゲームを楽しむための制約」です。

“楽しむ”というのは、1つは知的好奇心(という表現が妥当かわかりませんが)を満足させる、つまり、うおー、このシステムは素晴らしい!とかいうようなゲームを動かすメカニクス的なものを楽しむこと、2つ目は卓を囲んだ人たちと愉快な時間を過ごすという意味で書いてます。

自分がまず興味深いと思うのは、自分にとってのルールの役割を満たすために、必ずしも作者が規定している正しいルールが適用されている必要はないということです。
僕はおそらくゆるいのでしょうが基本的に、「間違っていたとしても、ゲーム中、全員が同じルールでやっていれば問題ない。ただし、つまらない時を除く」スタンスです。

ルール間違いに気づくのは、その場に同じゲームを別の場所で遊んだことのあるひとがおり、ルールに差分があった時か、ゲームが面白くなかった時か、ゲーム会後、ブログを書く等の何らかの理由でルールを読み返している時くらいでしょう。
ゲーム中に気付くのは面白くない時くらいしかないと思っています。

つまり、余程でないとプレイ中にルール間違いには気付けないということです。では、ルールを間違うことによる弊害って何なんでしょうか。(ひとりがルールを聞いていない、勘違いしているという場合ではなく、その場で共通認識されているルールが誤っている場合の話です)

A.ゲームがつまらない(正しいルールで遊べば正しいはず!というデザイナー性善説に則ってます)
B.ゲームの正しい評価ができない

Aは、まあ、色々とダメージがでかいですが、前述のとおり、ゲームがつまらない際にはルールが疑われます。なので、実際には通しでプレイして、つまらなくて、なおかつ、そのルールが間違っていたというのはあまりないかもしれません。
ただし、これには段階があり、正しいルールで遊ぶことがそのゲームが持っているポテンシャルを出し切ることになるのであれば、ルールを間違っていたため、つまらなくはないが本来の面白さの8割くらいということもありえます。

Bはゲーマーというか、複数ゲームを遊んで何らかの理由で比べたいひと以外には関係のない話です。
ルールを間違えて、ゲームが面白くない時にはAに書いたように気づけるはずなので、Bの場合、ゲーム自体は面白いということになります。

レビューを仕事にしていたりでもしない限りは、ルールを間違っているかどうかよりも、ゲームが面白いかどうかの方が重要だと思いますし、大抵のひとはそうなのではないでしょうか。

そうなると、ルールを間違うことは何が悪いのでしょう。

答えの一つとして、ゲームがより面白くなる機会を逃しているというのはあるでしょうし、作者への敬意も欠けているとは思います。

しかし、そこまで悪いとも思えないんですよねえ。僕は正しいルールで遊ぶというのは、全てのプレイヤーが多少の不満があったとしても、納得して遊ぶためでないかと考えます。
ボードゲームは複数人で遊ぶものですし、面白いの基準はひとそれぞれです。みんなが「こっちの方が面白い」と言いだしてはキリがないので、納得するための方便が“正しいルール”なんじゃないかと。

例えば、おい、それは俺の魚だぜでは、本来のルールであればペンギンは1以上の任意のマスを動かすことができます。しかし、正式ではありませんが、つきあたりか別のペンギンにあたるまで止まれないというバリアントが存在し、それなりに広まっていますし、先日、こちらを正式ルールとインストされている方に会いました。
(僕は移動距離は任意のルールの方が好きですが)よりゲームが面白くなると考えた人が考案し、実際に面白く、納得できる(氷の上ですし)からこそ受入れられているわけで。

その一方で、こういう話もありました。先日、とあるゲームを遊んだ時のことです。そのゲームでは捨て札からもドローすることができました。インスト時には捨て札か山札から1枚ドローしてくださいと伝えていたところ、あるプレイヤーが何の抵抗もなく、捨て札のなかをささっと見て、好きなカードを手札に入れたのです。
その方曰く「山札は何があるかわからないから、好きなカードを探してはいけないのはわかる。だけれども、捨て札はどこに何があるかわかるのだから選んでも良いのではないか」 これがこの方の“納得できるルール”なわけです。しかし、実際には捨て札の山の一番上の1枚をドローするのが“正しいルール”であることを伝え、納得してもらいました。
この方が自分の仲間内でやる時に、どちらのルールでやるかは自由ですし、楽しい方でやればいいわけで。

何が書きたいのかわからなくなってきましたが、最初に書いた「ボードゲームを楽しむための制約」であれば、ルールの正誤にそれほど気を使わなくてもいいし、実際に楽しいゲームができれば良いのではないかと思うわけです。正しいルールはその場に限らず、多くの人が全く同じゲームを行うための手段と割り切るのもひとつの考えではないかと。
一言一句ルールブックの文言通りか気にする真面目な方もちらほらいるようなのですが、楽しむためのツールなんだから気楽にやりゃあえんでないかと思ったので。

最後に余談ですが、上記については、“正しいルール”が求められた際に参照するであろうルール和訳が間違っていないことが前提です。

ある程度経験のある方や英語も読める方は、和訳だけでなく原文ルールもあたるのが当たり前になってはいますが、ボードゲーム歴が浅かったり、英語が堪能ではない場合は、和訳に頼るわけで、その際に和訳自体が間違っていては、その場のメンツが納得できる“正しいルール”が間違っていることになり、目も当てられませんので。

なーんか、最近、和訳が間違っていたせいで評価されていない、不当な評価をされている、プレイ自体することさえ難しいとかいうゲームの話をいくつか聞いたので余談ですが書いてみました。

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No title

面白い考察ですね。

自分はひだりさんよりはルールに厳密だと思いますが、その理由としてはルールがシンプルなゲームを
遊ぶことが多いとことがあげられます。ルールが少なければ1つのルールがゲームに及ぼす影響は大きく、
1つ間違えただけでかなり異なったプレイ感覚になります。なのでルールを守ることに慎重になってしまうのです。
もちろんデザイナーに敬意を払うという意味でも、デザイナーが意図したルールで遊ぶのは大切です。

ルールの間違いでプレイ感覚が変わるものは「おれの魚だ」の他、「フリンケピンケ」「アンギャルド」「交易王」「略奪」「冷たい料理の熱い戦い」「カルカソンヌディブルグ」などたくさんあります。本来のルールではないバリアントルールでも別の面白さが楽しめる「おれの魚だ」や「フリンケピンケ」などもありますが、ほとんどの場でがルールの間違いでゲームが面白くなくなり、ゲームが可哀想だと思うのです。

一方で、2時間以上の複雑なゲームだと多少のルールミスがあってもあまり影響しないので、それほど気にしません。10ページ以上もあるルールを最初から間違い無しでやるのは至難の業だし、それをわざわざ厳密にやってしまうと、楽しさを削いでしまうことにもなると思います。


Re: No title

プレイ感覚、ゲーム性を楽しむことに重きを置いた場合はけがわさんのコメントは、その通りだと思います。

個人的にはルールの多寡よりも、正しく守っているルールが「ゲームの根幹に関わるルール」かどうかが重要だと思います。
ルールが少ない=ルールのほとんどがゲームの根幹を成している。ルールが多い=根幹に絡まないルールが多数あるということではないかと。

逆に言えば、2時間クラス級のゲームでも、1つのルール誤りで2時間が無駄になるようなものもあるのかもしれず、直感的にそのルールのゲーム全体への関わり方を察して、ルールを間違ったのでもう一度やりたい、ルールを間違ったけれど、次気をつければいいやといった判断をしているのかもしれないですね。
プロフィール

ひだり

Author:ひだり
川崎市で相方や友人たちとボドゲやってます。

オールタイムベストは、
・グローリー・トゥ・ローマ
・バサリ
・インペリアル
・アフター・ザ・フラッド
・ゴッズプレイグラウンド
・HABA社製品 全般

推理ゲーム好きだけど↑には入ってないという
-------------------------
連絡先:hidarigray@gmail.com
※当blogはリンクフリーです

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